numero130
神戸のサロンにいた一年半。
営業後に練習し、帰るのはいつも22時頃。
夕食は住んでいたマンション近くのラーメン屋で食べるか、その隣のコンビニで弁当を買うか、
その二択だった気がする。
彼女もおらず、一緒に食事に行く友達も近くに住んでいなければ、
食べることにほとんど興味がなかった生活だった。
上京して就職したサロンのボスが食べる事が好きな人で、
練習終わりに限らず、居酒屋、鮨屋、蕎麦屋、イタリアン、BAR、etc、、、
色々な店に食べに連れて行ってもらった。
それが食への関心が強くなったきっかけの一つ。
特に自サロンの向かいにあるイタリアンにはよく行った。
そのイタリアンは東京イタリアンの先駆け的なお店出身のシェフだったので、
とても繁盛していたし、とても旨かった。
自分でも休みの日にランチに行ったりディナーに行ったりしていたし、
ボスと一緒の時は終電が無くなってもマダムたちと一緒に店に残って遅くまで飲んでいた。
午前2時頃まで店にいた事もしょっちゅうだった。
クリスマスなどで向かいの店が忙しくしている時、自分はサロンに残って一人で練習していたら、
こちらの店の電話が鳴って、
「ベンちゃん~!
*当時マダムから「和田勉」から取った「ベンちゃん」と呼ばれていた
ちょっと~!あなたクリスマスに一人で練習なんて~、何やってんのよ~!
そんなのよりさ~、シェフがパスタ作ってくれるからさ~、
ちょっと洗い物と片付け手伝ってくんない~??」
マダムからのそんな勧誘電話があったりと、
少し踏み込んだ付き合いをしてくれていたように思う。
食に対して興味を持つようになったのはボスの影響だけど、
イタリアン好きの原点はあのお店だとはっきりと言える。
そのイタリアンのお店の名前が、実は、
「Rezzo」
なのです。
レッツォ、
と読ませていましたが、意味はこのサロンと同じく「木陰、涼風」という意味です。
そのお店レッツォは、ある日シェフの急逝で閉店してしまいました。
亡くなる前日にも会って話したのに、、、
お通夜にも行ったし、閉店作業の手伝いにも行った。
その時にマダムから
「ベンちゃん、、、いつかお店やるんでしょ?
その時はさあ、Rezzoの名前、使ってあげてくれない?
きっとシェフも喜ぶと思うのよ、、、」
当時まだ「帰郷して独立」というのは具体的に決まっていなかったのだけど、
その瞬間に未来のお店の店名が、決まった。
スタッフ宮口が独立の為に卒業しました。
「独立なんて夢のまた夢」と誰もが言うような、
考え方もかなりの甘ちゃんで、身なりもダサくて、まあどうしようもなかったあの男を(笑)
そこまで考えるようになるまで育てた、
という達成感が、自分の中で大きい。
寂しいのはもちろんだし、これからの人生設計を立て直す必要があるけど、
今は、
「マサユキが創るサロンはどんなお店になるんだろうな~」
と考えて、ワクワクしています。
そんなこと考えていたらレッゾのエピソードを思い出したというわけであります。
さて、
自分も、
やっちゃいますか。
ふむ!