numero226
今の価値観を形作っている原点とも言えるのが、皆さま周知のとおり、
イタリアという国とその文化です。
自分は自他共に認めるイタリア好きのイタリアかぶれ。
初めてイタリアに行かせてもらった25歳の秋に、それが確立しました。
当時はJALで直行便がありとても快適でした(今はITA*旧アリタリア航空しかない)
ミラノ・マルペンサ空港を経由してフィレンツェへ。
他店のオーナーが一人、引率として付く男三人旅は、
会社が設定した個人の月間売上げ目標を達成した者だけが行けるという
言わば「ご褒美旅行」でした。
7泊9日の日程はほぼ観光と買い物。
ミラノで一つミッション(とあるサロンで自分の髪を切って帰る)がありましたが、
あとは完全フリー。
自分はとにかく世界遺産の街「シエナ」に行ってみたいというリクエストだけで、
あとはパイセン二人に付いていくだけの旅でした。
25歳。
若いですね~
目つきが鋭いですね~(悪い意味で)
オーラが尖ってますね~、、、
シエナ、カンポ広場のマンジャの塔の上から撮った写真。
ここに登ってトスカーナの景色を見た時、新しい価値観の扉が開いた。
二回目のイタリアは26歳の夏。
今度は会社の新しいプロジェクトのメンバーとして選ばれた三人での「視察」
イタリア南部、ナポリを中心に。
同年代のメンズ三人組でしたし、
現地で他店オーナー三名と合流はしましたが、食事だけ一緒という感じだったので気楽。
ナポリ市街をブラブラと一人で散策三昧していました。
視察の目的は当時流行っていた「ちょいワルオヤジ」の代表、雑誌LEONのモデル、
ジローラモ氏の地元ナポリへ行くこと。
そして美容室ではなく、ナポリで一番歴史のある「床屋」を視察し、
イケてるおやじを創るカットの秘密を探り、持ち帰る。
というミッション。
通訳として社長の娘氏(イタリア留学経験アリの当時40代)に同行してもらい、
実際に床屋で髪を切ってもらい、インタビューしてくるという、
今考えるとなかなか「?」なミッション。
そしてナポリのバーバー(床屋)で切ってもらった直後の写真が
コレ
ナポリぽいですね~
悪い顔してますね~
ちょいワルオヤジどころか、「ワルガキ」ですね~
ナポリから船でカプリ島へ。
青の洞窟も入れました。
ナポリでは旨いものを沢山食べました。
画像には残っていなかったけど本場のピッツァも食べたし、
レモンチェッロも抜群に旨かった。
一番印象に残っているのは「ババ」というナポリのお菓子。
あの時のババを超えるババには日本では出会えていませんね~
勿論Fikaさんにも何度もお願いしていますが、試作もしてくれまへんねん。
ぐすん
そしてとにかく魚介系の料理が本当に旨かった。
素材のポテンシャルを引き出した力強くシンプルな料理。
こういうのがイイ。
時々、強烈にイタリアに行きたい熱が上がる時があります。
BSの「小さな村の物語イタリア」を観た時とか。
そんな時、自分はイタリアのラジオを聴きます。
単語がわずかに聞き取れる程度なので意味は分かりませんが
イタリア語特有の「巻き舌発音」が聞いていて気持ちイイ。
聞いていると現地にいるような感覚になってきて、イタリア行きたい熱が平熱に下がってきます。
現状的にイタリアに行ける状況ではありませんが、いつかまたイタリアに帰りたいな。
今度はレンタカーを借りてワイナリーを巡ったりしたいと思っています。
上の画像はコロナ禍に入る直前に行った15年振りのイタリア。
念願だった家族でのイタリア。
フィレンツェで借りていた短期契約アパートの部屋です。
世界遺産ポンテベッキオに隣接した建物がアパートでして、
窓からはアルノ川を望む2LDKだったかな。
そしてなんと!
壁一枚向こうはヴァザーリ回廊という、歴史の息吹を感じずにはいられない部屋!
夜中に回廊からの足音とか聞こえてこないかちょっと怖かったけど。
貸しアパートなので勿論家具もあるしキッチンもあって、食器なども揃っています。
朝食は近所のバールで地元民に交じってヌテラ入りのコルネットを食べ、エスプレッソを立ち飲み。
そして街を歩き回り、
昼食はスーパーで惣菜などを買ってアパートで簡単に済ませ、また散策。
おやつにはアルノ川の畔に座ってジェラートを食べ、
夕食は地元民で賑わう路地裏のトラットリアで好きなものをアラカルトで食べてワインを飲む。
フィレンツェではそんな風に家族で「暮らすような旅」をしました。
あー書いていたら行きたくなってきた。
ラジオ聴かなきゃ、、、
ふむ