numero45
墓参りに行ってきた。
父親の実家が、すさみ町の佐本という急激に過疎が進む村にある。
高速道路の南進と山道の整備も進み、今や車で40分程度で行けるようになった。
自分が子供の頃は2時間近くかかっていたと思う。
ぐねぐね曲がりくねった細い山道を行くから、車酔いは必至。
毎回、祖父の家に着いた頃にはゾンビのような廃人と化していた。
後部座席の乗り心地が最悪な「マツダRX-7」に乗っていた父を、子供ながらに恨んだものだ。
墓参りに田舎に行ったのは昨年の夏以来だったが、
驚いた。
家の前には、川を挟んで一枚の大きな綺麗な山が見えていて、その山を一望出来る場所にベンチを置いている。
祖父が健在の頃はそこに座り、夏には夕涼みをしながら、冬には日向ぼっこをしながら、色々な話しを聞いた。
「あそこに飛んでいる、あのトンビ。巣はあの辺りにあるんだ」
「あのカラスは悪戯するから厄介だ」
「雲の流れがおかしいからもうすぐ雨が降るぞ」
「昔はあの辺りにも民家が見えていたんだけどね」
など、
自然の事もそうだが、戦争の事も少し話してくれた。
眼前の美しい山と自然を眺めながら話しを聞いたのは、一つの思い出だ。
今回行くと、その山の木が伐採され、山肌が見える程に切り開かれていた。
そこに大きなソーラーパネルの群が斜面いっぱいに設営されていた。
まだギリギリのところでベンチからの景観は保たれているが、
これからソーラーパネルも少しづつ増設されるだろう。
祖父との思い出の会話、自然の眺め、そして小さい頃によく川遊びをした思い出の場所が、
残念な姿に変わりつつある。
その山の持ち主としては有難い提案なのだろう、ということは理解出来る。
山、つまり(木)がなかなか売れない時代だからだ。
しかし、やはり少し切なくなった。
過疎が進み、消えゆこうとしている寂れた村に、突如として現れるソーラーパネルの群。
規則正しく並べられた異質なそれは、
まるでミーアキャットの群れのように同じ方向を見上げ、
春の日差しを吸収して異様な程に輝いていた。
花粉症と黄砂に苦しむ2021年の春です。