numero100
前回のつづき
~25歳の秋、一回目のイタリア研修~
約6時間遅れで濃霧のミラノを飛び立ち、無事フィレンツェのペレトラ空港へ着陸。
11月も後半。真夜中の寒く暗い花の都だ。
フィレンツェ中央駅にほど近い場所にある、
「グランドホテル・バリョーニ」にタクシーで到着したのは、夜中の12時頃。
落ち着いたクラシックホテルといった佇まいの「ホテルバリョーニ」
内装や家具はクラシックで自分好み。イタリアの古き良きを感じるホテルだ。
ついに来たフィレンツェ。明日の散策が楽しみだ、
と考える暇もなく、エクストラベッドで眠りに落ちた。
時差ボケであまりよく眠れなかったが、6時頃には起床。
ホテルで朝食を食べる。
このホテルの朝食会場はとても素晴らしい景色の中で美味しい朝食が食べられる。
あまりに絶景なので是非おすすめしたい。
散策に出掛ける。
この日はフィレンツェ市内をひたすら歩き回り、
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、通称ドゥオーモやジョットの鐘楼、
ウフィツィ美術館など、観光名所を見て回り、
あまり観光客は行かないアルノ川左岸地区もひたすら歩き回った。
*この時の散策が後に家族でフィレンツェに滞在した時にかなり役に立った。
夕食には地元のトラットリア(食堂風レストラン)でフィレンツェ名物「ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ」
骨付きビーフステーキを食す。
三人で約2キロを平らげ、
他にも白トリュフのパスタやポルチーニのソテー、トリッパの煮込みなどを食し、
美味いワインも堪能した。
エスプレッソも注文してくつろいでいたところへ
「沢山食べてくれたな~お前ら!」(そんな感じに聞こえた)と、機嫌良い店主がテーブルに来て、
グラッパをご馳走になり、ヘロヘロになりながら石畳の夜のフィレンツェを歩いてホテルへ帰った。
先輩とも沢山話せて距離も縮まった良い一日だった。
次の日はいよいよ事前にリクエストしていたシエナへ向かう。
朝、サンタマリアノヴェッラ中央駅横のバス乗り場でチケットを買い、
世界遺産の広場がある街、シエナへ。
途中、トスカーナの丘陵地帯を眺めながらバスに揺られること一時間。
想像以上にこじんまりとした街、シエナに着く。
何故だか分からないが行く前から「行かなければいけない」とまで思っていた街に、ついに来た。
歴史ある通りを抜けたところ、門のような場所をくぐると、
そびえ立つマンジャの塔が現れる。
広がるのは世界遺産のカンポ広場。
この日は天候も良く、マンジャの塔の最上部まで登れた。
その最上部からトスカーナの景色と、爽やかで少し強い風に包まれた時、
この場所に来なければいけなかった理由がはっきりと理解出来た。
あれから17年。
コロナ禍に入る前、2019年の春にその理由を家族と共有する為に皆でシエナに旅に行った。
しかしその時は風の影響でマンジャの塔は閉鎖されており、登れなかった。
だから娘には大人になったらもう一度自分でシエナに行ってみて欲しい。
そしてマンジャの塔に上り、そこから見える風景を眺め、あの風に包まれて欲しい。
自分があの時に感じた風と景色が、そこにはまだあるはずだ。
大人になったその時には、娘にも色々と理解してもらえるのではないかと思っている。
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ちなみに、前回のコラムで書いた「空港のバールでの事件」(エスプレッソ注文したのに水出てきた)
帰国後、大学でイタリア語を教えているゲストに話したところ、
「よくあることね。
特に空港のイタリア人店員はね、マニュアル的に東洋人=水、と思っている節があるの。
だからまずイタリア語で挨拶をして「これから自分はイタリア語で話しますよ」というのを相手に理解してもらわないと、
いきなり東洋人がイタリア語で話しても、向こうの思考回路が付いていかないの。
とりあえず水を出しときゃ間違いない、みたいな感じで水が出てきたのね。
イタリアという国は挨拶の国なの。
まずはボンジョルノ、ボナセーラ、と目を見て挨拶し、それから注文すれば大丈夫だったはずよ」
ということだそうです。
挨拶の国。
どんな店に入るにもまずは挨拶。
アフターコロナでのイタリア旅行の参考までに
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このHPになり、今回が100回目のコラムでした。
消えてしまった前HPのコラムと、それより以前のgooブログの頃から通算すると1006回目のコラム。
書き始めて約12年。
気が付くと1000回を超えていたようです。
塵も積もれば何とやら。
ふむふむ。
ホテル バリョーニ
シエナ マンジャの塔 上部の鐘の場所まで登りました
マンジャの塔の上から世界遺産カンポ広場を望む
マンジャの塔の上からトスカーナを望む